若手俳優が大勢出演し、女性に大人気の「テニミュ」の本当のすごさとは?
12月22日21時10分配信 @ぴあ
現在、東京・日本青年館で行われている「ミュージカル テニスの王子様」が評判だ。1999年に週刊ジャンプで連載を開始して以来、アニメ化、ゲーム化、アニメ映画化、そして今年の実写映画化と、メディア・ミックスで大人気を博す痛快スポーツ漫画「テニスの王子様」のミュージカル版。この舞台のどこがすごいか。
コミックの舞台化は難しい。コミックの登場人物には二次元的なイメージがあるため、どんな俳優も拒絶反応を起こされやすい。そして時間も空間も「次のコマ」「次のページ」という一瞬で行き来し、超アップから超ロングショットまで無限に描き分けられるコミックの自由さは、舞台では表現しにくい。
ところがごく稀に、その大難関をクリアした名作が生まれる。たとえば宝塚の「ベルサイユのばら」に、劇団☆新感線+パルコ共同プロデュースの「犬夜叉」。そして間違いなく「ミュージカル テニスの王子様」、通称「テニミュ」がこれに加わるだろう。原作の「テニスの王子様」は女性ファンが多いことで知られ、舞台版も確かに若い女性の観客が目立つ。だが“アイドル的な若い俳優が大勢出演してチケットが完売”していることを指して「テニミュ」を名作というのではない。
「テニミュ」がスタートしたのは2003年。年に2作、これまでに8作が上演されてきたが、その内容は試合が中心。これがクセ者で、コミックでスポーツの試合が描かれる場合、現実にはありえないスーパーテクニックが遠慮なく登場する。さらに、サーブを打つためにラケットを振り上げた一瞬や、相手からの返球を待つ数秒間に、前回の試合の屈辱、これまでの長く苦しい練習、先輩や後輩に言われた言葉、新たな不安や負けん気など大量の記憶や想いが、怒涛のようにフラッシュバックする。
だが「テニミュ」はこれらを、ちゃんと肉体化する。それを可能にしたのが、演出と振付を手がける上島雪夫だ。ダンサー、振付家として広く活躍し、ダンス的な身体の使い方、見せ方を熟知する上島を演出に起用したことが、おそらく「テニミュ」成功の第一要因だ。コミックならではのアクロバティックな数々の動きを、ミュージカルというくくりを武器に、軽やかに、ダイナミックに見せていく。空間の使い方もうまく、テニスコートの“こちら側”と“相手側”の転換や、冒頭に挙げたコミックならではの時間や空間の移動も、照明の当て方だけでスムーズに解決してしまう。セットの出し入れも含め、作品全体の動線が、ダンスのようになめらかなのだ。そのなめらかさを強力にサポートするのが、佐橋俊彦による音楽だ。そのシーンの空気を的確に表現し、さらに色濃くし、上島が描く「テニミュ」の動線にメリハリをつけていく。脚本も手がける三ツ矢雄二の歌詞もキャッチーで、あとあとまで耳に残る。
今回は、主人公の越前リョーマが所属する青春学園が、念願の全国大会に進出したものの、全国三連覇を目指す強豪・立海大付属を相手に苦戦を強いられ……というストーリー。青学メンバーのキャラクター、青学が関東大会で戦ったライバル校・六角中とのつながりなどは前半で駆け足気味に紹介され、初めて「テニミュ」を観る人は最初、それを追うのに精一杯になってしまうかもしれないが、後半の試合になってからが見どころだ。先に書いた“上質なミュージカル”としてのフォーメーションの美しさ、心地よいテンポが発揮され、ラストでは「続きが見たい」と思うはず。優れた原作あっての舞台化ではあるが、ここまで来れば「テニミュ」は「テニミュ」として確立していると言えるだろう。
いまや壮絶な倍率となったオーディションを勝ち抜いた出演者は、演技力や歌唱力は“まだこれから”レベルの人も少なくないが、そのひたむきさ、明るさが、部内の絆を絶対的な基盤とする「テニミュ」の世界観と重なる。何はともあれ、原作を、テニスをルールを、出演者を、ミュージカルを知らなくても楽しめる作品であることは、間違いない。
日本青年館での公演は25日(月)まで、メルパルクOSAKAでの大阪公演、今回がはじめてとなる香川公演、再び東京、名古屋へとまわる。